人間をやめる 

仏教実践の研究と資料

過去の妄想に対処する方法

瞑想をし、外部からの情報を受け流すようにすると、逆に内側から様々な記憶が

引き出されてきます。それはもしかすると脳が記憶を整理しているのかもしれませんが

この段階の実践は非常に苦しいものとなることがあります。

集中力を高めひたすら一点に集中するタイプの瞑想であれば、

無理やりそういった想念を抑えることができますが

坐禅やヴィパッサナーを初めから行うタイプの実践においては、それをかなり意識的に

経験することとなります。

 

その場合そういった過去から引っ張り出されてくる

不快な記憶や感情にどのように対処するかというと、

一つはそのような感情に巻き込まれず受け流し、常に呼吸や体の感覚などに

戻るという方法。

もう少し詳しく説明すると、過去に対する妄想が生まれてきてもそれは

そのままにして気にせず受け流し、巻き込まれそうになったら気づいて

呼吸や体の感覚に戻るということを繰り返す方法です。

 

もう一つは、妄想を気づきと言葉によって中断させる方法です。

もう少し具体的に言うと、例えば過去のことを思い出しそうになったら

「妄想!妄想!」と強く気づきを働かせ同時に言葉で確認する(ラベリングをする)

作業を行ったり、その妄想がひどく、怒りが生じてきてしまった場合には

「怒り、怒り」と気づきを働かせながら言葉で確認し心を落ち着かせる方法です。

 

この二つは人により向き不向きがあります。個人的には気づき(サティ)の力が

弱いうちは前者を、気づきが育ってきたら後者を実践するとストレスが少ないと

思いますが、はじめから後者を行うことで気づきの練習になるとも言えます。

一瞬の集中である「気づき」というよりも安定した集中(定力、禅定を目指していく)

を高めていく方法であれば、気づきの練習の重要度は下がるため

前者の実践で十分と言えます。

 

わたしが瞑想会に参加したり著書を読んだ限り

パオ僧院で修行されたマハーカルナー師やスカトー寺院のプラユキ師は前者

スマナサーラ長老や地橋秀雄氏は後者の指導です(特に地橋師は「気づき」により

心に起きた出来事の本質的な原因を言葉で「撃ち落とす」ことで妄想が鎮まることを

強調しておられます)

この二つの方法は実際にやってみて自分に合う方を選んでみると良いと思います。

哲学者の永井均氏は『サンガジャパン』で行った香山リカ氏との対談で

後者が自分に合っていたというお話をされていますが、プラユキ氏はあまり

出てきた妄想をあまり否定しすぎると、自分を追い詰めてしまうということを

おっしゃっていたと思います。

 

よくどちらの方法が良いかということが語られると思うのですが

このようにまとめてみると両者のねらいや用途は異なるので

一つのやり方にこだわらず、

試してみて自分に合ったものを選ぶと良いと思います。