人間をやめる 

仏教実践の研究と資料

日常の中の実践ーーわたしの修行履歴ーー②

修行がちゃんと進んでいるのか、というのは特にはじめの頃は

非常に気になるものです。一定の期間である程度効果を

実感できればいいのですが、ゆっくり進んでいる場合自分では

よくわからないこともあります。

今回は、わたしが実践をはじめばかりのころ感じた

心の変化を書いてみたいと思います。

実践での感覚や進み具合は個人差が非常にあるため

一つのサンプルとしてみてください。

ただ一つ言えることは当時のわたしの状態は最低だったため

変化は感じやすかったと思います。

 

前回書いた通り、我流でやって今までにないほどの強烈な怒りが

吹き出したわたしは、家を出て2週間ほど野宿をしていました。

その間起きている時はずっと歩き回っていましたし、睡眠時間も少なく、

食事もわずかだったので、体が疲弊して怒りを感じることもなくなりました。

そのあと家に戻り2日間眠り続け、起きてなんとか怒りがおさまっている

ことを確認してホッとしました。しかしこのまま我流でやっても、

絶対にうまくいくわけがないと、誰かに習いに行くことに決めました。

 

ちょうどその週末に日本テーラワーダ仏教協会で一月に一度行われている

初心者向けの瞑想会があり、それに参加することにしました。

(その時の様子はまた、機会を改めて書いてみたいと思いますが

結構前のことなので、今度久々に参加してみてその感想も

合わせて書きたいと思います)

5時間弱休憩なしの指導を受け終えて、足を引きずるように協会の

階段を降りてドアを開けた時、もうあたりは暗くなっていたのですが

世界が今までと全く違って見えました。

体は疲れ果てていたのに、頭はすっきりしていて視界が妙に

くっきりしているのです。心に溜まっていた泥が一気に吐き出されて

すごく軽くなったようでした。

 

瞑想の効果をはじめて実感したわたしは、真剣に実践に打ち込みました。

半日集中した実践でだいぶ軽くなったと思っていた妄想も、

やはりそんなに簡単なものではなく相変わらずしつこく頭に

まとわりついていました。人によって出てくる妄想は色々違うと

思うのですが、わたしの場合視覚的なものにしつこく感情が

巻き付いていて胸がくるしくなるほどであったり、ある時は

ずっと音楽が頭の中で鳴り響き瞑想をしていてもまったく消えないなど

それはもう妄執という暴風が吹き荒れているような、

混沌とした状態でした。

当然そんな状態で「妄想、妄想」とラベリングしても妄想が

消えるわけがなく、長いこと妄想に囚われては、それに気づくことの

繰り返しでした。

 

しかし、続けているうちに少しずつ変化が現れてきたのです。

少し抽象的な表現となってしまうのですが、今までドロドロと頭に

まとわりついていた妄想が、少しずつさらっとしたものに変わっていき

妄想から覚める頻度が上がって行きました。妄想で引き起こされる

感情も強烈なものから、少しずつ穏やかになっていき、

それを放っておけるようになりました。

映像、音楽などあらゆる妄想が吹き荒れていた心の中が少しずつ

静けさを取り戻し、ひっきりなしに流れていた「頭の中のおしゃべり」は

モノローグにように穏やかなものとなっていきました。

このようなモノローグの妄想は、気づけばすぐに消えてくれるのです。

 

躍起になって消そうとしても消えなかったしつこい妄想が、

少しずつそのしつこさを失っていって、軽くなり薄くなり、

しまいには息を吹けば消えるような感じになりました。

もちろんまだ完全に妄想を断ち切ることはできませんでしたが

著しく苦しめられるということはなくなったのです。

 

あるとき歩く瞑想をしていると、急にウキウキした感情が湧いてきて

すごく嬉しくなりました。歩くのではなくスキップをしたくなるような

多幸感でいっぱいになり、疲れていた体がすごく軽く感じるのです。

それは、歩くのをやめてしばらくすると消えてしまうのですが、

調子がいいときは歩き始めてすぐに現れるようになりました。

 

そのときはおそらく実践をしていて一番楽しいときでした。

家族や周りの人にすごく瞑想をすすめて(今考えるとちょっと痛い人ですが)

浮かれていました。それから徐々に実践の怖さ厳しさを知っていくことに

なるのですが、このときは、瞑想とはうまくいくと

気分の良くなるものだと思っていたのです。