人間をやめる 

仏教実践の研究と資料

純粋な認識を手に入れるために②

前回は「純粋な認識」を身につけるための土台となる

「常時の心を安定させる(戒の実践)」について説明しました。

マハーシの実践ではあと大切な要素が二つあります。

 

2、粗大な対象から微細な対象を観察できるようにする(集中の実践)

これは以前使った例えで言うと、対象をカメラのフレームにおさめ

ピントを合わせていく作業と言えます。四念処でいえば身→受→心と

フレームにおさめるのが難しくなるのですが、身の中でも微細な瞑想対象

というのはあります。例えばお腹の縮み膨らみを観察することに比べたら

アーナパーナサティで鼻口で四大の風性を感じる方が遥かに微細な身(色)

の観察になります。(裏を返すとなぜマハーシの方法が腹の膨らみ縮みの

観察から始めるかといったら、集中力がついていない状態でも

観察しやすいからです。

 

逆にアーナパーナサティで支持されるような鼻口や人中で呼吸を感じる

やり方はかなり集中力がいるのです。

これは人から聞いた話なのですが、パオ僧院で修行し当然パオのやり方、

アーナパーナサティで指導しているサヤドーも、

欧米や日本で指導する場合鼻口や人中で呼吸を感じるのが

難しい人が多いため、はじめある程度慈悲の瞑想で心を沈めてから

アーナパーナサティに移るというやり方をしているそうです)

 

腹部の膨らみ縮みでもその動きを幾つもに分けていくことで

微妙な感覚の観察となります

(膨らみはじめ→少し張ってきた段階→最高に張った段階→

膨らみから縮みに転換する瞬間といった具合に)

あるいは、歩く瞑想でも「着いた、離れた」の二つから

「指先がついた→指の付け根がついた→土踏まずあたりまで来た→

かかと→離れる瞬間」といった具合に。

あとは、受や心のトレーニングに近くなってきますが、

地面を蹴ったときに微妙に生じる「怒り(興奮)」を

観察していくという方法もあります。

人は筋肉を使うとそれが一瞬でも興奮が起こるのです。

そういった微妙な感覚を感じていくのも集中力を養うのに

良い練習になります。

 

微細なものほどそこに意識を合わせ集中していくのが難しくなります。

逆に言えばそれを意識的に行っていくことによって、

観察の練習をしながら集中のトレーニングも出来るのです。

 

次回は「速く変化する対象にも細かく注意を向けられるようにする」トレーニングについて説明していこうと思います。