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自由のためのディシプリン

仏教実践の研究と資料

仏教をめぐる言葉の問題⑤ 八正道と三学

言葉の問題

仏教をめぐる言葉の問題① - 瞑想集中治療室

仏教をめぐる言葉の問題② - 瞑想集中治療室

仏教をめぐる言葉の問題③ - 瞑想集中治療室

仏教をめぐる言葉の問題④ - 瞑想集中治療室

 

おそらく、パーリ経典においてもっとも基本的な教えは四聖諦でその道諦にあたる

八正道(八支道)が実践の中心であることは論を待たないでしょう。

パーリ経典でも文献学的に古層に位置するとされるスッタニパータでも

素朴で明快な八正道が説かれています。

 

しかし実践を八つに分けるという分類は必ずしも最初からあったものではないと

思われます。教えを分類して数字をつけて伝達するのはインドの口伝文化において

一般的なことだと思うのですが、どの時点でこのように整備されたものかは

わかりません。わたしは基本的に長部や中部の経はブッダの教えを集成したものと

考えています。その集成がブッダ本人によるものなのか、

その時代の弟子たちによるものなのかはわかりませんが、口伝する上で

形式が整えられたというのは確かだと思います。

ここからの、八正道の説明は基本的に教えが集成された後の

極めてシステマティックな説明を主題とします。

テクストは中部『大四十経』です。

 

八正道はパーリ語の原義から考えるとariya aṭṭhaṅgika magga 

聖なる・八つの支分からなる・道となります。

だから正確に言うと八つの正しい道があるというものではなく、

「八つの支分からなる、聖なる道」ということです。

聖なる道はあくまで一つです。

その道は何に続いているかというと正智、正解脱です。

それが八つの支分からなっている。

その八つの支分というのは、

正見、正思、正語、正命、正業、正精進、正念、正定です。

しかし、中部『大四十経』によればこの八つの中でも関係性があるのです。

一番大事なのは正見です。なぜなら他の支分の「正しさ」を知るには

それらを「正しく判断する見解」が必要だからです。

この正見というのは正精進、正念によって獲得されます。

正見によって各支分は「正」と「邪」に分けられます。

基本的に「正」というのは「邪」ではないことを意味します。

そして、各支分において「邪」の方をなくしていくことが、

正精進と正念ということになります。

そして正見〜正念を修めることによって正定が得られます。

図にするとこんな感じです。それはそのまま三学に対応します。

                     八正道              三学

        正解脱                                                  

         ↑

         正智(正見・正思・正精進)             慧

         ↑

        正定 (正精進・正念)        定

           ↑

正見・正思・正語・正命・正業・正精進・正念              戒

 ↑  ↑    ↑     ↑   ↑       

    正見・正精進・正念

 

このように集成され洗練されたと思われる八正道の教えは

三学でいうと戒の定への総合がなされています。

三学における「定:samādhi:サマーディ」は

心を鎮めることや、統一すること、集中することといった具合に

かなり広い意味があり、これは特別に瞑想の修行を行わなくても

ある程度得られるものです。

しかしこの経典では第一〜四禅定について触れられているため

「捨(upekkhā:ウペッカー)」に向かうような深い集中状態として

述べられています。

 

三学というのはどんな実践でも必要なものですが、実践者によって

どこを重視してアプローチするかは任意となります。

スッタニパータのような古層に属するとされる経典では主に

「戒」がクローズアップされ瞑想にこだわらない地に足のついた実践が

説かれていますが、時代が下るにつれ「定」の方法としての瞑想実践が

まとめられていったのではないかと思います。

経蔵の時点では瞑想実践では「止(サマタ)」と「観(ヴィパッサナー)」を

分けてはいませんがのちの修道論においては「止」と「観」が分けられ、

厳密な修行方法が説かれます。

これは大雑把に言って戒→定→慧というように教えが整備されていったことを

意味すると思います。

 

仏教の基本は見てきたように四聖諦です。

そしてその実践方法として八正道があります。

しかし、瞑想実践が整備されるにつれてにわかに前景化してくる概念があります。

それが、法の三相つまり無常(anicca:アニッチャ)、苦(dukkha:ドゥッカ)、

無我(anattā:アナッター)です。