読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自由のためのディシプリン

仏教実践の研究と資料

日常の中の実践ーーわたしの修行履歴ーー①

日常の中の実践

ヴィパッサナーの実践の良いところは、

その気になれば日常の全てを実践の場に変えることができるところです。

 

ただどのような段階で、どのような実践の仕方をするのが良いかは、

はじめた時の状態もそれぞれ違うし、集中力、根気、環境

実践できる時間なども違うため一概には言えません。

そこが本などで学ぶ限界となってしまい、内容の解釈の違いで

すごく遠回りをしてしまったり、なかなか効果が出なかったりします。

 

今回は一つのサンプルとしてわたしがはじめの頃どのように実践していたかと、

うまくいかなかった原因などを書いてみようと思います。

 

初期のころに経験したわたしの失敗談をお話します。

はじめスマナサーラ長老の本(現在売られている第三版ではなく第二版の方です)

https://www.amazon.co.jp/自分を変える気づきの瞑想法【増補改訂版】-アルボムッレ・スマナサーラ/dp/490450786X

を読んで実践を開始したのですが、わたしの場合は、本を読んでやっていた時には

決定的に間違ってしまいました。それは具体的にはラベリングの仕方です。

 

腰痛を持っていたわたしは基本的に歩く瞑想ばかりしていました。

その当時わたしは過去の辛い出来事のフラッシュバックに悩まされていて、

かなり悲惨な状況だったのです。とても長時間座っていることなどはできず、

家にいるもの辛いので、外を歩き回っていました

(当時はうつ状態がひどくなり5年ほど続けていたバイトも

辞めてしまっていたので、一念発起してとにかく一日中歩き続けました。

このままではこれから一生うつに悩まされ続けると強迫的に思っていた時期です)

 

座っている時よりも少しはマシなのですが、歩いていても

妄想は襲いかかってきます。

そのころは言葉によるラベリングが妄想や、思考を止めるために

一番大事だと思っていて、とにかくラベリングを徹底して行ったのです。

それでもまったく妄想は収まらずむしろ全然できない自分に

嫌気がさしていました。

それでもなんとか妄想をとめようとひたすら歩き、ラベリングを続けたのです。

 

ある時もっともっとラベリングを強力に行ったどうなのだろう、

妄想をかき消すほど強く強く「(足が地面に)着いた、着いた」と念じて

みたらどうなのだろう、そうしたら妄想をかき消すことができるのではないか、

と思いました。そして、いつもより早歩きをしながら

ただひたすら足の裏のが地面に着くたびに、強く「着いた、着いた」と

念じてみたのです。

どんどん、頭の中の声を大きくしていき、叫ぶようなイメージで念じながら

力を足にいっぱいに込めて歩きました。すると確かに頭の中の妄想は消え、

頭の中は叫ぶような「着いた、着いた」でいっぱいになったのです。

 

そんな状態でひたすら何時間も歩き続けていた時でした。

急に頭に血が上っていくような、背骨が頭蓋骨を押しのけていくような

そんな異常な感じがせり上がりました。

頭の中がスーッと真っ白になるような、不思議な感覚とともに

腹の底から力が湧き上がり頭に向かっていくようでした。

「がんばりすぎて、もしかして頭の血管が切れてしまったのか」

と心配になったのですが、痛みのようなものはなく足も動いている。

なんなのかわからず動揺していたのですが、しばらくすると

その腹の底から湧き上がってくる強烈な力は、怒りだと気付きました。

本当にこの体を燃やし尽くしてしまうのではないかというような、

強烈な怒り。

それが頭に上って突き抜けていくようでした。

 

その時のわたしは非常に内罰的な性格で、攻撃性は全て

自分に向けられていました。

その自分に向けられていた「怒り」が蓋を開けたように

一気に外に噴出してきたのです。

それから、その怒りを周りに向けてしまうようになりました。

本当に怒りで気が狂いそうなほどでした。

「このままでは人を殺してしまうのではないか」

と不安になり荷物をもって実家を出て2週間ほど野宿を続けました。

 

結局これが原因となりスマナサーラ長老の初心者指導に

参加することになるのですが、

わたしははじめに我流でやってものすごい失敗をしてしまったのです。

後に地橋秀雄先生の著作を読むと

「ラベリングは掛け声のようになってはならない」

「感じ(センセーションと言葉での確認(ラベリング)は9対1くらい」

とちゃんと書いてるのでした。