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人間をやめる 

仏教実践の研究と資料

純粋な認識を手に入れるために③

前回、前々回と説明した「常時の心の安定を確保する」

「粗大な対象からより微細な対象に集中できるようにする」

という実践は相互に補いあいながら共に成長していきます。

常時の心が安定すれば観察に入るのは容易になるし、微細な対象に

集中できるようになれば、常時の心もしっかし守ることができます。

またこれから説明する実践も前掲の二つの実践と共同して

「純粋な認識」を作ってきます。

 

3、速く変化する対象にも細かく注意を向けられるようにする。

これは2の実践を前提としています。微細な感覚が見えるように

なってくると、それが非常に速く変化していることに気づくのです。

マハーシの方法では体の動きを観察し続けることによりある程度

集中力をつけたのちに、身体の動きだけでなく身体の感覚や心の動き、

思考なども順次随観(追いかけて観察する)実践に入ります。

この順次随観する実践では自身に現れてくるものは何でも即座に気づき、

ラベリングしなくてはなりません。

それを行うには速く変化する瞑想対象にしっかりついて

いけなくてはならないのです。そのような実践を繰り返していくなかで、

徐々に気づきは細かくそして速く働いていきます。

 

ここでラベリングをしていたら速く変化する対象を観察

できないのではないか、と言う疑問を持つ方もいるかと思います。

この疑問からマハーシの方法を否定する方もいるようです。

しかし、実践するとこの疑問は的外れであるとわかります。

まずラベリングの訓練を続けていくとほぼ自動的に気づきが

入るようになりますし、気づきとともにフラッシュのようにラベリングが

浮かぶようになります。また集中しているときは主観的な時間が

ゆっくり流れるように感じ、普通は一瞬ですぎ知覚できないようなものを

はっきりと知覚できるのです。

 

このような鋭い気づきは一瞬の禅定とも言えるもので、

瞬間定や刹那定、パーリ語でカニカサマーディといいます。

安定した禅定に入ることができなくても、このようなの瞬間定による

断続的な観察を行うことによって、「純粋な認識」は現れてきます。

このような認識は感覚や心の動きに巻き込まれず観察の

瞬間だけあらわれる、純粋に認識のみをする意識です。

このような認識を手に入れると真の意味でvi(明晰に)passanā(観る)

と言える状態になります。

そしてこのような認識が可能なると、心の生起がはっきり

観察できるようになり(縁摂受智)法(無常、苦、無我)という

レベルの観察が可能になります。

さらにこの観察により随観智と呼ばれる智慧が観察者には現れてきます。

 

これで一通りマハーシの実践のポイントとなる部分を説明し終えました。