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仏教実践の研究と資料

マハーシの実践、全体の見通しと目指していくところ①

マハーシの方法論におけるポイントとして鋭く深いサティ

(一瞬の禅定といえるような)をどのように養っていくか

というのを一つの課題としました。

しかし、そもそもなぜそのようなサティが必要なのか、

というところを説明していませんでした。

まずマハーシの実践(途中からはヴィパッサナー一般の実践)

の段階の大まかな見取り図を書いてみます。

 

①基準となる瞑想対象(座る瞑想ならお腹の膨らみ縮み、

歩く瞑想であれば足の裏と地面の接触)に常に気づきを保ち続ける。

これによって気づきの力を高めると同時に、心を落ち着かせていく。

②基準となる瞑想対象に気づきつつ、体や心に生じてきた感覚や感情、

思考があればそれらを順次随観する。

気づきを深く鋭くより繊細な対象も追いかけられるようにしていく、

同時に常時の心の落ち着き、集中状態を上げていく。

③安止定に入り高まった集中状態で対象を随観する。

あるいは鋭いサティ(瞬間定、ヴィパッサナーカニかサマーディ)により

断続的に深い随観を行う。

④③の継続により、認識そのものと、認識の対象が完全に分離された観察

(名色分離智による観察)が生まれる。

それにより心の中の反応の連鎖、消滅がはっきり俯瞰的に

見えるようになる(縁摂受智)

⑤④によって四念処でいうところの「法」のレベルでの

ヴィパッサナーが可能になる。その観察により特殊な心理状態が

引き起こされる(随観智)

⑥⑤の発現に対処しつつヴィパッサナーを続け、

認識とそれに対する反応を書き換えていく。

集中力が足りず五蓋を抑え込めない場合、

特に強い執着を持ち激しい反応を示す対象に対し

サマタ瞑想を行う(慈悲の瞑想や死随観、苦随観など)

⑦⑥により認知構造の深い書き換えが行われある閾値に達したときに、

想念が一時的に滅尽する(解脱)

想念が消えているのは一時的でまた再び通常の認識に戻る。

しかし常時の意識も一部変化する(疑、有身見、戒禁取の煩悩が落ちる)

⑧⑤以降を繰り返す。

結果あと3回想念の滅尽経験する、

それに伴う平時の煩悩の削減、消滅を終えると修行の完了となる。

 

非常に簡単なまとめですが、4までをクリアすればあとは

基本的に進め方は個人個人の一本道になります。

ですので4の段階に達することが方法論の、

そしてヴィパッサナーの実践の要となります。

 

鋭く深いサティの実践が必要なのはこの④の状態の獲得するためです。

次回もう少し④について詳しく考えた上で、具体的な実践方法の考察に

移っていこうと思います。