人間をやめる 

仏教実践の研究と資料

禅定(ジャーナ)を目指すのとは別のやり方②

マハーシの方法の、特別な点は

 ・サマタ、とヴィパッサナーを方法として分けない。

 ・必ずしも禅定を必要としない。

 これは禅定を目指さないという意味ではなく五蓋を一時的に

 抑えられればヴィパッサナーができるために近行定レベルの

 定力があれば十分ということ(前掲の質問6)。

 また安定した禅定に入れなくてもサティの瞬間に生じる

 瞬間定(ヴィパッサナーカニカサマーディ)でも解脱に達する

 ことができると明言しているところ(質問7)

 ・アーナパーナサティではなく、初めから四界分別観を行うということ。

 そして、「身(色)」だけでなく「受」「心」「法」というように、

 特定の念処に固定するのではなく心に起こってきたことをそのまま順次、

 随観の対象にしていくという点。

 ・対象に対する気づき(サティ)対して言葉での確認(ラベリング)を行うこと。

 

とまとめることができると思います。

これは必ずしも禅定に達することを否定するものではありません。

可能であれば禅定に達することを目指していくこともできるし、

実際腹部の膨らみ縮みを瞑想対象にしても禅定に入ることはできると思います。

 

しかし、安定した禅定をつくることが苦手な修行者であっても

ヴィパッサナーができること、また解脱に達することができることを

示している点で非常に間口の広い方法となっています。

 

ここでは他の方法論でも共通している安定した禅定によるヴィパッサナーではなく、

鋭いサティ(カニカサマーディ)による断続的なヴィパッサナーについて

考えていきたいと思います。問いとしては

 

瞬間定(刹那定、ヴィパッサナーカニカサマーディ)といえるような

鋭く深いサティを養っていくにはどうすれば良いのか?

 

というものになると思うのですが、それには大きく分けて二つの

アプローチがあります。

 

①平時の心を落ち着けていくと同時に、それにより見えるようになる

 微細な感覚に気づけるようにする。

 

②瞬間的に変化する対象に気づきを向けららえるようにする。

この2つはカメラ撮影に例えるのならば、①対象を捉え正確にピントを合わせていく技術、②動く対象を追跡しフレームに入れる(捉える)技術というようなイメージです。また深いレベルのサティにはこの二つが同時に必要で、四念処でいう「心」の観察とはいわば超望遠のレンズで激しく動き回る鳥を捉えるようなものといえます。

次回からは①と②をどのように達成していくか、具体的な実践方法を考えていきます。