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人間をやめる 

仏教実践の研究と資料

禅定(ジャーナ)を目指すのとは別のやり方①

煩悩の激流に飲み込まれている人にとって、

禅定の達成は一つの目標となるものだと思います。

少なくとも近行定に達するくらい心を落ち着けることができれば、

一時的にかなり気持ちは楽になります。

 

とはいっても、禅定に入りやすいか否かはかなり体質が関係します。

おそらく脳内の神経伝達物質が関わっていると思うのですが、

その分泌量には個人差があるのです。

 

そういうわけで、禅定に入り易い人は当然それを目指していくべきですが、

入りにくい人にもちゃんと実践をすすめていく方法はあります。

 まず非常に妄想が激しく、じっと座って一つの瞑想対象(所縁)に

集中することが困難な実践者が心を落ち着け禅定に向かっていくには

二つのアプローチがあると思います。

 

1、まず調息法(意識した呼吸)によってある程度心を落ち着けていく

2、座る瞑想ではなく歩く瞑想などの動く瞑想を多く行うことによって

妄想を出にくくさせる

 

ここではマハーシの方法による特に後者の実践についてポイントを

考えていきたいと思いますが、まずマハーシの方法論についてこちら

Vipassanaa Q&A マハーシサヤドーと現代のヴィパッサナー瞑想法(PDF) - ヴィパッサナー通信 Vipassana news (blog版)

からの引用を掲載しそれについて解説していこうと思います。

質問 6 禅定を得ていないならば、心清浄が満たさ れていないのでヴィパッサナー瞑想を実践すること はできないのですか?

答え 「禅定を得れば心清浄が満たされるのでヴ ィパッサナー瞑想を実践できる。禅定を得てないな らば心清浄が満たされていないのでヴィパッサナー 瞑想することができない。」などと言っている少数 の人がいます。これは極端な意見です。禅定の近く で生じる近行定ぐらい得られれば五蓋1の煩悩などが 除かれているので、その近行定によって心清浄が満 たされヴィパッサナー瞑想を実践でき、その様に瞑 想することによって阿羅漢果まで達することができ、 その様に達した人が多くいると清浄道論などにはっ きりと述べられています。仏説であるパーリ経典な どにも近行定ぐらいを得られる威儀の部によるヴィ パッサナー瞑想法によって阿羅漢果まで達すること ができると大念住経などにはっきりと説かれていま す。

増支部 (AN,II, 275)アヌッサティッターナ経 の中に仏の徳などを念じることによって生じる集中 力の基礎で(evamidhekacce sattæ visujjhanti) 阿羅漢ま で達することができると説かれています。正知の部 の註釈書においても仏法僧の徳を所縁として生じた 喜悦を、生じては滅することと考察することによっ て阿羅漢果に達することができるとはっきりと説か れています。

(The Dhamma talk of Dhammacakkapavattana sutta)

 

質問 7 瞬間定(Kha1⁄4ikasamædhi) でヴィパッサナー 瞑想を実践することができますか?

答え 要素観察の部によれば、はっきり現れてき た四大要素を念じます。その様に念じていると五蓋 がなくなり近行定1に達すると清浄道論にはっきりと 述べられていることを注意しなければなりません。 それはどの安止定2の近くにも生じないので真の近行 定ではありません。近行定と五蓋を取り除くこと、 心が集中する様子が似ているのでsadisþpacæ(同様に 取り扱う)として近行定と呼んでいると清浄道論の 大復註釈書 (Vis ¿, I, 436)にあります。それをヴィパ ッサナーとして言えばヴィパッサナーカニカサマー ディと呼べます。ですから私はヴィパッサナーカニ カサマーディと呼んでいます。それをある人たちは 理解できずにカニカサマーディでヴィパッサナー瞑 想はできない、もしできるならば学問僧もヴィパッ サナーの智慧が生じるなどと非難しています。

学問僧たちの集中力が五蓋を取り除くぐら い力強いならば、大念住経にあるように生じたとき の名色を正しく念じられるならば、ヴィパッサナー の智慧が生じると認めることができます。しかし、 勉強したり暗記したり教義を唱え考察するだけの集 中力では五蓋は取り除くことはできず、生じたとき の名色を念じている訳ではないのは、はっきりして います。清浄道論(Vis, I, 281)にヴィパッサナーカニカサマーディを kha1⁄4ikacittekaggatæ とあります。それ を解釈している復註釈は kha1⁄4amatta¥hitiko samædhi な どと示されています。この註釈書、復註釈書などに よって私は sadisþpacæ として近行定をカニカサマ ーディと明確に提示しています。この点を理解でき ればはっきりするでしょう。

ヴィパッサナー瞑想中に生じるサマーディ をカニカサマーディと呼びます。念じているときに 瞬間だけ続くサマーディと呼べます。ヴィパッサナ ー瞑想のときこのカニカサマーディが無ければヴィ パッサナーの智慧は生じません。力強いカニカサマ ーディがあってこそ生じることができます。禅定と いう基礎なしにヴィパッサナー瞑想だけで修行する スッダヴィパッサナーヤーニカの修行者ならばこの ヴィパッサナーカニカサマーディでヴィパッサナー の智慧を生じさせ聖道果に達することができます。 このヴィパッサナーサマーディは一つの対象を念じ るわけではありません。(すべてに向かって気づか なくてはならないとあるように)はっきりと生じた すべての対象をすべて念じなければなりません。し かし、念じる瞬間、瞬間に念じる対象に向かうので 心が散乱することはありません。それは徹底してヴ ィパッサナー瞑想を修行したことがある人には、大 変はっきりしています。

近行定(upacærasamædhi) 安止定の近くに生じるので近行 定という。
安止定(appanæsamædhi) それぞれの所縁に安止するので、 禅、道、果の入定状態を安止定という。 

 ここにはマハーシの実践のポイントが、はっきりと述べられています。

次回はこの内容について触れつつ、

どうすればヴィパッサナーカニカサマーディを得ることができるのか

考えていきたいと思います。